皆伐を経て、再び搬出間伐へ。
搬出間伐現場が始まりました。
あぁ、戻ってきたなという感覚。
と、いうのもここ数ヶ月皆伐現場が続いていました。
何度も申しますが、決して皆伐を否定しているわけではありません(苦笑)
ただ、色々と思う事もあるのです。

人によって植えられた人工林、その時がくれば収穫を行うのは当然のこと。
そこからまた植栽され、次のステージが始まるのですが
木が生えていたから山と認識していたけれど、伐ってしまえばただの崖!
と思うような急峻な現場も少なくありません。

伐採は地上なのに足場を確保出来ずハーネスを使用することもしばしば。
果たして再び人工林を育てる適地なのだろうか?と複雑な心境になります。
1日の作業を終え、振り返った先に山積みとなった丸太はあれど山がない。
という状況に私は慣れることが出来ませんでした。

どうもモチベーションが高まらない。
こんなに恵まれた環境で仕事させて頂いているのに贅沢な!
と自分を奮い立たせるも、空振りばかり。
どうやら私のやる気スイッチは木を伐ること、
山中で仕事することだけを目的には動かすことができず、
山を残し次世代へ繋ぐ、という一点に絞られているように感じました。
では、一体どのような山づくりに携わってゆきたいのだろう。
アップダウンの激しい木材市場価格は予測不可能。
今育ててゆきたいと思う木が果たして20年後、30年後も
必要とされているだろうか、と思うと選木の手が止まります。
ふと、昨年秋に携わった120年生の現場を思い返しました。
どのような山づくりをされてきたのか、
山主(山守)の方の意志は山をみれば明確でした。
なんとかこの山を活かし続けてゆき出来る事ならばさらに高めてゆきたい、と
一般流通ではなくこの木を必要としてくれている人に直接届けなければ、と
心からフツフツ湧き出すものがありました。

つまり私は、将来私たちが携わった山をみて
こんな山を残してゆきたいと感じ取ってもらえるような、
そんな人が現れてくれるような山づくりを目指してゆきたいのでしょう。
龍神村へ引っ越し丸二年が経過しました。
積んできた経験、頂いた学びはすべて山へお返ししたい。
皆伐を経て、再び搬出間伐へ。

あぁ、戻ってきたなという感覚。
と、いうのもここ数ヶ月皆伐現場が続いていました。
何度も申しますが、決して皆伐を否定しているわけではありません(苦笑)
ただ、色々と思う事もあるのです。

人によって植えられた人工林、その時がくれば収穫を行うのは当然のこと。
そこからまた植栽され、次のステージが始まるのですが
木が生えていたから山と認識していたけれど、伐ってしまえばただの崖!
と思うような急峻な現場も少なくありません。

伐採は地上なのに足場を確保出来ずハーネスを使用することもしばしば。
果たして再び人工林を育てる適地なのだろうか?と複雑な心境になります。
1日の作業を終え、振り返った先に山積みとなった丸太はあれど山がない。
という状況に私は慣れることが出来ませんでした。

どうもモチベーションが高まらない。
こんなに恵まれた環境で仕事させて頂いているのに贅沢な!
と自分を奮い立たせるも、空振りばかり。
どうやら私のやる気スイッチは木を伐ること、
山中で仕事することだけを目的には動かすことができず、
山を残し次世代へ繋ぐ、という一点に絞られているように感じました。
では、一体どのような山づくりに携わってゆきたいのだろう。
アップダウンの激しい木材市場価格は予測不可能。
今育ててゆきたいと思う木が果たして20年後、30年後も
必要とされているだろうか、と思うと選木の手が止まります。
ふと、昨年秋に携わった120年生の現場を思い返しました。
どのような山づくりをされてきたのか、
山主(山守)の方の意志は山をみれば明確でした。
なんとかこの山を活かし続けてゆき出来る事ならばさらに高めてゆきたい、と
一般流通ではなくこの木を必要としてくれている人に直接届けなければ、と
心からフツフツ湧き出すものがありました。

つまり私は、将来私たちが携わった山をみて
こんな山を残してゆきたいと感じ取ってもらえるような、
そんな人が現れてくれるような山づくりを目指してゆきたいのでしょう。
龍神村へ引っ越し丸二年が経過しました。
積んできた経験、頂いた学びはすべて山へお返ししたい。
皆伐を経て、再び搬出間伐へ。

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